3/04 中山競馬場 弥生賞
競馬 - 2012年03月17日 (土)
3月4日の、まだ肌寒い日曜日、久しぶりに、中山競馬場に行ってきました。

指定席にすわりたいので、早めに家を出て、開門の9時少し前に到着しました。

ここは、JR武蔵野線の船橋法典駅から、地下道で直結している、法典門という入り口です。

この日はかなり寒くて、JRAのお姉さんたちも、しっかり、コートにマフラー装着です。

門の脇に、おとなしいおウマさんが並んでいて、みんなナデナデしていきます。

9時ちょうどに開門、さっそく中に入って、指定席券売り場へ…

毎年、売上が減少しているせいか、多少ゆっくり行っても、指定席が売り切れということは、ほとんどありません。
3階のキングシートの券を買えました。

まず、パドック(馬見所)のほうに行ってみます。まだ第1レースの前なので、出走馬は出てきていません。

ファンの方が、持参の横断幕を貼っていました。横断幕には規定があって、当日にJRAの事務所で審査を受けて、許可されないと、掲示することができません。

これは三浦皇成ジョッキーの横断幕です。奥さんは12才年上の、ほしのあきさんです。

パドックのそばには、亡くなった競走馬たちを弔うための、馬頭観音があります。もちろん、私もお参りしました。

調教師の方が奉納した幟です。

パドック前の電光掲示板には、第1レースの出走馬の馬体重や、馬券のオッズが表示されています。

スタンドの中に入ってみます。

これがスタンド(観覧席)です。下のほうにチラホラ人がいるのが、1階2階の、無料の一般席です。
その上の、ガラスでおおわれているとこが、3階4階の指定席で、さらに上の少し張り出しているとこが、5階6階のゴンドラ指定席です。

これは馬場内に2つあるターフビジョンです。レースやパドックの映像、オッズや着順などの情報が刻々と表示されます。

芝コースのゴール板です。

競馬場のコースのまわりに建っているパトロールタワー。レース中の映像を記録し、騎乗に違反や不正がないか監視しています。


スタンド内部です。今日取れた席は、この3階の、キングシートという席です。

ガラスがあるので、今日みたいな気温10度以下の日などは、助かります。
階段状になってるんで、目の前のホームストレッチは肉眼で十分見えます。

席には1つずつモニターがついてますので、向正面など、遠くを走ってる時などは、このモニターが役に立ちます。
かなり広い席なので、ゆったり座って観戦したい時は、おすすめです。

馬券を買う時は、このマークシートに記入して、機械に入れて買いますが、自分のパソコンを持ち込んで、ネットで投票してる方もけっこういます。

これは指定席のすぐ裏にある投票所ですが、ご覧の通り、すいてます。

パドックに出走馬が出てきて周回をはじめます。

レースに騎乗するジョッキーたち…みんな150cm前後で小柄です。

私は馬を観察してもぜんぜん違いがわからないので、あまりパドックは参考にしません(笑)

いつも、白のはちまきと、ヘルメットの白紐が定番の後藤騎手…レースでは先行が得意で、わりと好きなジョッキーです。

スタート地点のゲート。走る距離によって、スタート地点は変わります。


レースが終了して着順が確定すると、すぐに払い戻し金も発表されます。
朝9時に馬場に来て、夕方4時半には、ここで行われる全12レースが終了します。また、他場で開催されてるレースも買えるので、けっこう忙しいです。

レースの合間をみてゴハンを食べます。中山は食事処が多くないので、混みあう時間を外して食べに行きます。

今日は、和食の下辰の、カレー丼と生ビール。

鰹節ベースの、蕎麦屋風のカレー丼です。柔らかく煮込んだ豚バラ肉がうまいんです。

レースを見て、予想を立て、馬券を買ってるうちに、あっという間に一日が過ぎてゆきます。
今日は、馬券で儲かったら、当たり馬券の画像も入れようと考えてたんですが、残念ながら、いくつか馬券は当たったんですが、収支はマイナスでした(笑)

本日のメインレース、弥生賞の優勝馬、コスモオオゾラです。

最終レースの馬券を購入してから、小腹がすいたので、フードコートの三幸へ。

寒い時はこれに限ります…豚汁が最強。

パドックの横で、記念写真を撮っていたグループ。

そのうしろには、第一次競馬ブームの立役者、ハイセイコーの銅像があります。
地方競馬にいたハイセイコーが、ぶっちぎりの6連勝をして、中央競馬に移籍し、はじめて中山に登場したのが、1973年の弥生賞でした。ちょうど、39年前です。

その時の中山競馬場は、ハイセイコー見たさに、12万人!の入場者でした。
今日の弥生賞は約2万8千人…どれほどの大騒ぎだったか…。
中央入りしてからのハイセイコーは、思うように勝てませんでしたが、けなげに走る姿が、多くのファンの共感を呼び、1974年の有馬記念が最後のレースとなりました。
いつもハイセイコーの鞍上で、苦楽を共にした増沢末夫さんが歌った「さらばハイセイコー」を添付しておきます。

指定席にすわりたいので、早めに家を出て、開門の9時少し前に到着しました。

ここは、JR武蔵野線の船橋法典駅から、地下道で直結している、法典門という入り口です。

この日はかなり寒くて、JRAのお姉さんたちも、しっかり、コートにマフラー装着です。

門の脇に、おとなしいおウマさんが並んでいて、みんなナデナデしていきます。

9時ちょうどに開門、さっそく中に入って、指定席券売り場へ…

毎年、売上が減少しているせいか、多少ゆっくり行っても、指定席が売り切れということは、ほとんどありません。
3階のキングシートの券を買えました。

まず、パドック(馬見所)のほうに行ってみます。まだ第1レースの前なので、出走馬は出てきていません。

ファンの方が、持参の横断幕を貼っていました。横断幕には規定があって、当日にJRAの事務所で審査を受けて、許可されないと、掲示することができません。

これは三浦皇成ジョッキーの横断幕です。奥さんは12才年上の、ほしのあきさんです。

パドックのそばには、亡くなった競走馬たちを弔うための、馬頭観音があります。もちろん、私もお参りしました。

調教師の方が奉納した幟です。

パドック前の電光掲示板には、第1レースの出走馬の馬体重や、馬券のオッズが表示されています。

スタンドの中に入ってみます。

これがスタンド(観覧席)です。下のほうにチラホラ人がいるのが、1階2階の、無料の一般席です。
その上の、ガラスでおおわれているとこが、3階4階の指定席で、さらに上の少し張り出しているとこが、5階6階のゴンドラ指定席です。

これは馬場内に2つあるターフビジョンです。レースやパドックの映像、オッズや着順などの情報が刻々と表示されます。

芝コースのゴール板です。

競馬場のコースのまわりに建っているパトロールタワー。レース中の映像を記録し、騎乗に違反や不正がないか監視しています。


スタンド内部です。今日取れた席は、この3階の、キングシートという席です。

ガラスがあるので、今日みたいな気温10度以下の日などは、助かります。
階段状になってるんで、目の前のホームストレッチは肉眼で十分見えます。

席には1つずつモニターがついてますので、向正面など、遠くを走ってる時などは、このモニターが役に立ちます。
かなり広い席なので、ゆったり座って観戦したい時は、おすすめです。

馬券を買う時は、このマークシートに記入して、機械に入れて買いますが、自分のパソコンを持ち込んで、ネットで投票してる方もけっこういます。

これは指定席のすぐ裏にある投票所ですが、ご覧の通り、すいてます。

パドックに出走馬が出てきて周回をはじめます。

レースに騎乗するジョッキーたち…みんな150cm前後で小柄です。

私は馬を観察してもぜんぜん違いがわからないので、あまりパドックは参考にしません(笑)

いつも、白のはちまきと、ヘルメットの白紐が定番の後藤騎手…レースでは先行が得意で、わりと好きなジョッキーです。

スタート地点のゲート。走る距離によって、スタート地点は変わります。


レースが終了して着順が確定すると、すぐに払い戻し金も発表されます。
朝9時に馬場に来て、夕方4時半には、ここで行われる全12レースが終了します。また、他場で開催されてるレースも買えるので、けっこう忙しいです。

レースの合間をみてゴハンを食べます。中山は食事処が多くないので、混みあう時間を外して食べに行きます。

今日は、和食の下辰の、カレー丼と生ビール。

鰹節ベースの、蕎麦屋風のカレー丼です。柔らかく煮込んだ豚バラ肉がうまいんです。

レースを見て、予想を立て、馬券を買ってるうちに、あっという間に一日が過ぎてゆきます。
今日は、馬券で儲かったら、当たり馬券の画像も入れようと考えてたんですが、残念ながら、いくつか馬券は当たったんですが、収支はマイナスでした(笑)

本日のメインレース、弥生賞の優勝馬、コスモオオゾラです。

最終レースの馬券を購入してから、小腹がすいたので、フードコートの三幸へ。

寒い時はこれに限ります…豚汁が最強。

パドックの横で、記念写真を撮っていたグループ。

そのうしろには、第一次競馬ブームの立役者、ハイセイコーの銅像があります。
地方競馬にいたハイセイコーが、ぶっちぎりの6連勝をして、中央競馬に移籍し、はじめて中山に登場したのが、1973年の弥生賞でした。ちょうど、39年前です。

その時の中山競馬場は、ハイセイコー見たさに、12万人!の入場者でした。
今日の弥生賞は約2万8千人…どれほどの大騒ぎだったか…。
中央入りしてからのハイセイコーは、思うように勝てませんでしたが、けなげに走る姿が、多くのファンの共感を呼び、1974年の有馬記念が最後のレースとなりました。
いつもハイセイコーの鞍上で、苦楽を共にした増沢末夫さんが歌った「さらばハイセイコー」を添付しておきます。